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公益事業情報

米谷・佐佐木基金

受賞者(功績部門)の挨拶と受賞講演

村田隆裕氏

村田 隆裕
公益財団法人 日本交通管制技術協会 顧問

【 講演題目 】
道路交通と人

 

自己紹介

はじめに

自己紹介

 

 私は1971年に警察庁科学警察研究所の交通部に入りました。それまでは、東大の八十島義之助先生の下で、鈴木忠義先生、中村良夫先生にご指導いただきながら、景観の問題を研究しておりました。

 2001年に警察庁科学警察研究所を定年退職しましたが、最後の3年は専務理事または副所長というような、研究とは関係のない行政的な仕事をしておりました。

 研究分野としては、警察庁科学警察研究所の交通部で交通安全に関わる多種多様な研究をしておりました。その結果について報告書にまとめ、学術的な成果があれば論文にし、各県で話をしたりしておりました。

 最後の1年間は警察庁科学警察研究所の副所長でしたが、科警研というのはもともと交通の鑑識や法医学の関係が中心です。科警研の副所長というのは、研修機関の所長でもありますので、各県警の科捜研から人が集まり、そこでお話しします。

 研究としては雑多な取り組みをしていたのですが、大学にいたときは道路景観の研究を行うなかで、自動車運転者の視覚的行動について研究していました。大学院では注視行動の研究をしていました。

話の項目

 話の項目

 

 今日の話は三つあります。まず、自動車運転者の注視行動について話題を提供したいと思います。2番目は都心部歩行者区域の事例について紹介したいと思います。最後は、交通の研究者として、しばらく現場から離れていましたけれども、自動運転に対する交通分野からのコメントをしたいと思います。

注視行動の分析

 注視行動の分析

 

 この写真は昭和時代、ちょうど50年ぐらい前に撮った写真です。アイマークレコーダーという注視点を測るものです。今でもこのような装置はあると思いますが、視野全体の画像のなかでどこを注視しているかを光点として記録する装置です。16oフィルム、ボレックスという映画の撮影機に1秒間に24コマの映画として記録しました。ですから研究においては4万コマの解析を行っております。昔の研究は、非常に時間ばかり食った研究でした。

人の目の構造

 人の目の構造

 

 注視とは、人間の目がどこを見ているかということです。人の眼球の構造とは、レンズとしての水晶体があって、その後ろに網膜があって、広く目全体を囲んでいます。網膜のなかに中心窩というものがありまして、この部分で詳細な情報を得ているわけです。中心窩の直径は約2.5mmです。眼球全体で2cmぐらいの大きさがあるそうですが、そのごく一部の中心窩の範囲内に、視細胞の約90%があります。

 視細胞のうち、明るいところの色を感じる、明るくないと色を感じないのが錐体細胞というものです。これに対して、桿体細胞は明るさのみを感じます。錐体、桿体というのは細胞の形から名付けられたものです。中心窩にあるのはほとんどが錐体細胞で、その周りにわずかな錐体細胞と桿体細胞があって、たとえば夕暮れになってくると色がわからなくなるというのは、明るくないと色を感じることができないからです。ともかく人間というのは、この中心窩で見ようという注視行動をします。

 中心視というのは網膜のうち中心窩に映るような条件で対象を見ることで、半径にして約3度、これは、たとえば5mの距離から見た場合には半径が26pですから、ほんのわずかな範囲になります。それがはっきり見えている範囲です。ところが、おそらくみなさん「全部はっきり見えていますよ」と思われると思います。これは中心窩であちこち見た結果を脳のなかで処理しているので、周りの色も見えているように思いますが、実際には色は記憶としてあるだけで、実際に見ているのは中心窩に映っているところなのです。

富嶽三十六景神奈川沖浪裏

 富嶽三十六景神奈川沖浪裏

 

 これは広重の有名な富嶽三十六景です。この絵を最初に見た方はおそらくびっくりして、構図のすばらしさ、波の砕けたところをまず見る。そのあと「富士山があるな」と見ていくわけです。よくよく見たら「人がいるな」、「ボートが見えるな」、「ここに字が書いてあるな」というように見ていくわけですが、みなさんが見ているのは注視点と言いまして、中心窩に像を結ぼうとして、ある場所を見るわけです。その次に別の場所に行くときには、瞬間的にパッと跳んで見ているわけです。次の場所へも瞬間的に跳んで、そこにしばらく滞留するというかたちです。

目の動き

 目の動き

 

 注視行動というのは、「跳び」――ある場所から次の場所に跳んでいく、「saccade」と言いますが――しばらくそこに留まって見るわけですが、じつはじっと留まることはできないのです。必ず「逃げ(drift)」ということがあります。じっと見ていたのに、目のほうが勝手に離れてしまうわけです。それを修正するために「ちらつき(flick)」という行動で元に戻す。注視行動というのはそういう行動です。この注視のなかの「ちらつき」と「跳び」ということについて、いろいろ考えたわけです。

アーラン分布:指数分布のたたみこみ

 アーラン分布:指数分布のたたみこみ

 

 ここで突然アーラン分析が出てきます。じつは米谷榮二先生の交通の追従理論というのが、アーラン分布に適合するのです。なぜかというと、アーラン分布のなかには、仮想的な指数分布をするランダムな車があって、その車は仮想的なものですが何台あるかによってアーラン分布の次数というものが決まってくるということで、これについて学生のころにとても感銘を受けて勉強したわけです。

 これはSRというのは現実の事象です。横軸が時間です。現実の事象、たとえば先ほどの広重の絵のある場所をじっと見てから「跳び」の事象が起こる。パッと「跳び」が起こって、しばらく注視して、また「跳び」が起こるというように、注視のあいだに、先ほど「ちらつき(flick)」と言いましたが、そういった事象がいくつか起こるのではないかと考えられるわけです。

視線誘導

 視線誘導

 

 これは実際の運転者の目の動きを見たものです。視線誘導と言いますが、運転者の視線はレーンマークと側線とのあいだをこのように跳ぶわけです。停留時間を見ますと、「2」の場合は0.42秒とか「5」の場合は0.58秒とか、そういった停留時間だったわけです。そういった視線誘導の場合には、注視時間、停留時間がどのような分布になるかということが注目されます。

注視時間分布の一例(テレビジョン、ドラマ)

 注視時間分布の一例(テレビジョン、ドラマ)

 

 1930年代から、注視に関しては眼科の分野でさまざまな研究がされております。たとえば、これはテレビを見る場合の分布です。「fixation」というのは注視のことです。横軸は注視時間です。だいたい注視時間の平均が0.33秒ぐらいということです。k=3というのは、先ほどのアーラン分布の次数が3であるということです。テレビを見る場合には、平均3回ぐらい注視の修正を行って次に跳んでいくということが分布から推計できます。

 これはいろいろな方の研究結果ですが、「テレビジョン、ドラマ」のケースです。それ以外にも絵画を見たり、自然の風景を見たり、信号機、都市内高速道路の走行中というのがあります。すべてアーラン分布のkという次数が2以上になっていますが、1回の注視のなかで必ず1回の修正的なflick、つまりちらつきが生じているということが推計できたわけです。

運転者の注視対象

 運転者の注視対象

 

 これは私が運転者の注視対象についてドクター論文で調べたものです。路面やガードレールやレーンマークなど、それぞれのkの値を調べたもので、「k=1」というのは指数分布です。

 目の動きというのは次から次へと跳んでいって、あとじっと見つめてそのなかで修正的なflickが起こるということはないわけですが、トラフィック・サイン、交通標識の場合には「k=3」というアーラン分布になります。さらにスピードメーターの場合はほとんど正規分布になります。アーラン分布の次数が大きくなると正規分布に近づくということで、「k=10」という値になります。実際に注視している時間も0.76という非常に長い時間になります。このように、注視時間の頻度分布から、このkというのはむしろ注意の度合いではないかというのが、私のドクター時代の結論でありました。

自動車運転者の車間距離認知(1987年)

 自動車運転者の車間距離認知(1987年)

 

 1980年から1987年にかけて、私はタイのAsian Institute of Technology(AIT)、アジア工科大学に派遣されて、そこで教えたことがあります。そこのドクター論文を指導したときに取ったデータに基づくものですが、運転者の車間距離認知ということです。車間距離というのは、おそらく認知した結果で自分が最適の車間距離をみんな取っているのだろうと考えられます。ということは、最適であろうという車間距離を中心にした正規分布をした結果、ある車間距離が実現しているのではないかと考えまして、実験と調査を行ったわけです。

 ウェーバー・フェヒナーの法則というのはご存じの方もいらっしゃるかもしれません。ウェーバーさんとフェヒナーさんというのは、19世紀の前半に、現在の認知科学の決定的な理論である「人間の認知する量は刺激量のlog、すなわち対数に比例する」という考え方を提唱しています。どうやって調べたかというと、人にまず100gのものを持たせて、そのあといろいろな重さのものを持たせて、100gよりも重いと感じる閾値、差を調べました。たとえば100gに対して10g増えないと重さが変わったとわからないとすれば10gという閾値があるということですが、では200gになったら20gかというとそうではなくて、まさしくlogで変わっていくのです。認知量はlogで変わるということを提唱したわけです。  たとえば騒音レベルとデシベルという音圧は、じつは物理量のlogに比例するということです。それから音楽が趣味の方はご存じかと思いますが、オクターブというのは、たとえば1オクターブ高いと周波数としては2倍ですが、2オクターブの場合は周波数は4倍になる。3オクターブは8倍、2の3乗になる。これもウェーバー・フェヒナーにぴったり合う理論です。

 車間距離認知も、やはり実際の車間距離のlogに比例するのではないかという仮説を立てまして、これを検証したわけです。

車間距離の認知

 車間距離の認知

 

 これは一つの結果ですが、車間距離のlogと車間距離の認知量がぴったり合っているかたちになっています。これはもっとも相関係数が高いものですが、すべてが0.97とか0.98といった高い値で相関することがわかったわけです。たとえば40キロの場合とか90キロの場合といったように、それぞれのランクに応じて調べました。

現実の交通流における車間距離分布ててて

 現実の交通流における車間距離分布

 

 これを使って、実際に追従する車間距離はどうなるのかということで、実際にAITの向かいにある幹線自動車道路の上で観測して、車間距離を測ってみました。横軸に車間距離を取り、縦軸にその頻度を取りますと、まさしく対数正規分布になったということです。これは一つの例ですが、それぞれの速度に応じて非常によい結果が得られました。

 アーラン分布にしても対数正規分布にしても片側に偏った山型分布です。車間距離分布はいろいろなものが提唱されていますが、ウェーバー・フェヒナーの法則に従い、人間の知覚に応じて距離を判断して、その結果として車間距離が生じているということを実証した一つのケースではないかということです。

 残念ながらこれ以上は私の研究の進展はないのですが、これからの研究に少しでも役立てていただければと思います。

都市中心部の歩行者道路

都市中心部の歩行者道路

 

 次は都市中心部の歩行者道路についてです。1973年から1974年にかけて海外研修を行う機会がありました。西ドイツに約1年半いて、研究をしたわけです。ちょうどミュンヘン・オリンピックが1972年かと思いますが、資料の写真はミュンヘンの都市中心部から俯瞰した歩行者道路です。

 歩行者道路と言いますと、日本では歩行者天国が1970年、昭和45年の夏に、新宿、渋谷、銀座、池袋という4箇所で実施されました。世界で最初に行ったわけです。その前の年にニューヨークで行ったということもあるようですが、実際にいままで続いているのは銀座の歩行者天国であるということのようです。そういうことがあって、歩行者天国に関心を持って、いろいろ事例を研究してきました。

歴史的旧市街地

 歴史的旧市街地

 

 ドイツに行きますと、中世のまちというのは、ほとんどが街の真ん中が歩行者天国になっており、歩行者用の道路として造られております。しかし、私が行った1973年、1974年ぐらいは、まだ走りでありました。これはネルトリンゲンという場所ですが、だいたいドイツの街というのは、真ん中に教会と市庁舎があって、そこに周りから街道が集中していて、ちょうど交差点のようなかたちになっています。

ブレーメン 交通セル

 ブレーメン 交通セル

 

 1973年ごろには、まちの真ん中に車がどんどん入って歩行者と車が混乱していたわけですが、当時、ブレーメンという北ドイツのまちで、このような歩行者計画がありました。まちの周りに環状道路があります。この環状道路はもともとのブレーメンの城壁というか、市を囲む壁があったのですが、これを取り除いて道路にしたということです。黄色で示されているのが歩行者道路で、都心部に車が入らないようにする。環状道路の縁に駐車場をたくさん設けて、車で来た人は必ず周辺道路に駐車するようにという計画をブレーメンでは立てていました。これはなかなか先駆的な計画です。

 私がおもしろいなと思ったのが、交通セルという考え方です。もともとの都市を囲んでいた城壁部分に環状道路を造って、駐車場にしか行かれない、中を通り抜けることができないようなシステムにする。セルというのは一つの歩行者道路で囲まれた、「細胞」という意味で使ったと思いますが、歩行者だけが車を降りて、細胞膜である歩行者道路を通り抜けることができる。車は周辺で止めてしまうという考え方です。

他都市の例

他都市の例

 

 他都市の例ですとエッセンという大都市があります。第一次大戦後に車を止めて歩行者天国にしたのですが、ドイツでの最初の例だそうです。先駆的な例でしたが、そのあと中心部分を全部歩行者天国にして、ここでも交通セル方式をとっています。

 右側の図はフランクフルトです。ライン川沿いの古いまちですが、真ん中に神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式を行ったという教会もあり、こういったところを歩行者道路にしました。この道路などは幅員が42mと非常に広いのですが、そこを走っていた市電を全部地下鉄にして、真ん中に地下鉄の駅を造るという大規模な都市計画とともに作りました。周りにちょうど環状道路のようなものができまして、交通セル方式をとっています。

交通セルの形態比較

交通セルの形態比較

 

 すべてのまちが交通セルの形式をとっているわけではないですが、交通セルだけを比較してみますと、ブレーメンやデュッセルドルフ、シュツットガルト、エッセンなど、500mあるいは1kmという直径を持った部分に交通セルを適用したということを調べて参りました。

住宅地の静穏化:オランダで Woonerf の実施

住宅地の静穏化:オランダで Woonerf の実施

 

 Woonerfというオランダでの有名な住宅地内での交通の静音化の取り組みがありますが、1972年、ちょうど私が向こうに行ったころにデルフトというまちで試行的に実施していました。そのあとオランダでは道路交通法にもWoonerfが盛りこまれました。Woonerfというのは英語で言うと「Residential yard」、「生活の庭」というような意味ですが、それが実施されました。

ドイツの交通静穏化

ドイツの交通静穏化

 

 ドイツでも似たようなことが試行的に行われたのですが、Woonerfが実施された10年後の1983年に、Tempo-30-Zoneという交通規制をしました。ある地域内全体を時速30kmで走りなさいということで、そのなかにはもちろん歩行者専用の地区もあります。エリアを区切って30キロゾーンにしましょうというもので、日本では2011年に導入して、ドイツそっくりの規制標識を作ったわけです。これは速度規制でして、命名もドイツと同じ「ゾーン30」という名前で、各県で実施されています。

スクールゾーンについて

 スクールゾーンについて01

 

 日本ではスクールゾーンについて先駆的な話がありまして、1970年に交通安全対策基本法ができたのですが、それに基づいて、1972年からスクールゾーンができました。学校周辺の500m以内の自動車交通に対してさまざまな規制をかけるものです。たとえば時間を限った通行止めとか、あるいは一方通行といった規制をかけることは、すでに1972年から行われておりました。

 スクールゾーンについて02

 

 私が科警研に入ったのが1971年ですが、入ってすぐに神奈川県警から電話がありました。「今度スクールゾーンを作るのですが、どんな路面標示にしたらいいでしょうね」という話があり、「このようなことでどうですか」と言って提唱したのがお見せしているかたちです。縦書きのものが警視庁などでは実施されていますが、横書きのものを提唱したのは私です。実際にいまだに神奈川県警では横書きです。私は横浜に住んでいるものですから、使われているのを見て、昔のことを思い出しております。

自動運転のレベル分けについて

自動運転のレベル分けについて01

自動運転のレベル分けについて02

 

 最後に、自動運転についてお話しします。みなさんご承知のように、いま自動運転というのは、国レベルで取り組んでおり、五つの段階に整理されています。レベル3以上が自動運転の本格的なものですが、レベル2まではいろいろなかたちで実施が始まっています。これに対して、私は「本当にだいじょうぶかな」と思いながらいろいろ考えています。つぶやきになりますが、元交通研究者のつぶやきとして聞いていただきたいと思います。

 このチャートは、じつはSAE、Society of Automotive Engineersというアメリカの自動車技術会の考え方をほぼそのまま踏襲したものです。考えてみますと、そもそも自動車というのは、すべてが自動化の歴史でした。窓の開閉の自動化があり、エンジンの始動の自動化がなされました。昔はクランクを回してかけておりました。あとはギアシフトの自動化、AT、Automatic transmissionもあります。さらに操舵力とか制動力の補助も自動化されています。現在は簡単にハンドルを回せますが、これには相当の補助的な力が働いているわけです。昔はこれがなかったものですから、ハンドルを切るのがすごくたいへんでした。ブレーキも、いまは軽く踏んですぐに止まりますが、これも補助がされているわけです。さらに言うとABSというように、すべりやすい道路で急ブレーキをかければ、すべらないように回転を調整する装置も標準で装備されています。

 このように、自動車はその名前のとおり自動化が進んできたのですが、自動車技術者の夢としては、「だったら運転までを自動化してしまおうじゃないか」という考えで、人間が運転しなくても好きなところに行ってもらえるということを目指して研究が進んでいるようです。しかし交通の立場からすると、「本当にできるのかな」、「本当にそうかな」と、ちょっといろいろ考えてしまいます。

交通とは

交通とは

 

 交通というのは、自動車技術のように機械的な技術ばかりではなく、交通工学的な技術もおおいに貢献しています。それから自然科学的な観点で交通についてアプローチしている方がいますね。とくに交通事故に関しては、事故がどのようにして起こったか、あるいはどんな怪我をしたのかという法医学の研究もずいぶん進んでいます。それから社会科学的な研究もあります。交通というのはまさしく社会現象ですから、社会科学的な研究、たとえば交通教育とか運転者の管理といったものがあります。

 それから交通経済という立派な分野があります。いまの天皇陛下はイギリスの大学で水上交通の研究をされたということですね。また法律については、警察が受け持っているのですが、交通というのは法律によらなくても、運転者同士のルールといったものがもともとあるはずです。ドイツの交通法規によりますと、あちらは右側通行ですから、ともかく右側の車は優先する。それから車を左から追い越して戻ってきたらそちらを優先する。そういう優先関係が非常にはっきりしています。そのために交通信号がなくても、優先・非優先の標識で充分に交通の秩序が保たれています。

 日本でも、西郷従道さん、西郷隆盛の弟さんですが、その方が、車でも人でも、ともかくすれ違う場合には左側に避譲しなさい、譲りなさいということで、譲り合いというのが最初の交通ルールとして考えられたわけです。そのときに左側通行になりました。なぜ左側かというと、武士の世界では、刀をぶら下げているものですから、もし右側通行だと鞘が触れ合って、そこでチャンバラが始まるからそれはまずいということで左側通行にしたという説があります。

 日本の道路交通法はそういった避譲というものを基本に置いていなくて、交通規制という、個々の交通空間での行動を決めるものです。たとえば一時停止という標識があったらそこで止まりなさい。信号が赤信号なら止まりなさい、青信号なら行きなさいという、場所ごとに応じたルールを決めて交通を管理するという考えになっています。それ以前に、相手の車とどう折り合いを付けるかという考え方は、とっていないわけです。優先関係も、日本の道交法では左側優先とはっきり書いてありますが、そういったものはほとんど教えられていないし、重要視されていなくて、交通規制を守る、標識を守りなさいということだけが基本になっているのは、問題だろうと思います。

 それから、資料に「哲学」と書きました。心理学を含めた人間に関する科学も含めて、また哲学というような「そもそもどうあるべきか」ということを考えることも、本当は交通では必要なことだろうと思います。

 さらに「アート」と書きましたが、景観工学という分野があります。私の恩師の鈴木忠義先生の一周忌のときに、やはり私の先輩であり鈴木先生の弟子である中村良夫先生が、「村田は昔こういう研究をやっていたけれども、まだそれは解決されていない。これからどんどんやるべきだ」ということをおっしゃったのでびっくりしました。それは何かというと、「道路景観というのはまさしく人間にとってドラマを見るようなことであって、たとえばすばらしい景色が見えたと思うと、まちのなかのゴチャゴチャしたところを走る。そういった環境ごとの景観を計画にも取り入れたらいいのではないか」ということをおっしゃっていたんですね。

 アートというと言い過ぎかもしれませんが、そういった考え方を1965年ごろにマサチューセッツ工科大学のケヴィン・リンチという建築の出身の方が、The View from the road、つまり『道路から見た景観』という立派な本を出されて提示されています。それには道路の設計で、何をランドマークにするか、正面に持ってくるかとか、どういう地域を順番に通ることによって、その景観のおもしろさ、都市の性格というものを見せていくかというようなことで、私もずいぶん勉強したのですが、そういったアートの分野というのは、これからもっと取り入れていいのではないかと思います。

 資料に「衣食住」と書きました。衣食住というのは、どうも日本語にしかないようですね。昔、遼という時代に契丹人から日本人が取り入れた言葉ではないかと言われます。ネットで調べても「衣食住」というのが出てくるのは日本だけなんですね。一番出てくるのが「衣食住行」というもので、これがもともとの考え方だそうです。「衣食住行」に関しては中国のサイトにたくさん出てきます。もともとは、「衣食住」とともに「行く」という行為、つまり交通が、人間の基本的な生活の条件の一つとして昔から認識されていたはずであります。

 そういったことを考えると、交通というのはけっしてマイナーな分野ではなく、むしろ一番基本的な分野だと思います。これは、八十島先生の言葉ですが、自動車というのは交通具の一つ、人間が扱う道具の一つだということです。自動車運転というのは、ただ運転しているようですが、よく考えてみると視覚行動の基本であるところの瞬間、瞬間において意図に応じた認知・判断・操作を行っているということではないかと思います。瞬間、瞬間の注視行動というのは、必ず自分の意図があるということですね。ですから、運転というのは、歩行者や相手の車とか、あるいはレーンから外れていないかとか、そういったものを注視しながら走っているわけです。

自動車運転における認知

自動車運転における認知01

 

 認知した結果を判断し、また操作をする、というのが自動車運転です。じつは認知・判断・操作と言いますが、別々に行っているわけではない場合がほとんどで、認知・判断・操作が同時に行われているわけです。とくに緊急の場合に危ない瞬間などは考える余地なくハンドルを切って、ブレーキを踏むのが人間の操作です。自動運転では、それをシミュレートして機械に覚え込ませようということですが、自動車運転における認知というのはいま言いましたように、人間にとって意味のある対象を選択的に抽出しているわけです。「人間にとって意味がある」というのはまさしく人間の能力でしか判断できない、大げさに言うと哲学的な「意味」でしかないのですが、それは自動車のAI、artificial intelligenceには持ちようがないと思います。

 自動運転での認知というのは何かというと、いま実用化されているのは側方に白線があるか、そして前方に先行車があるかというものです。この二つの対象だけで、意味としては「白線からはみ出さない」、「前方車には近づきすぎない」という判断だけを行って、自動運転は行われているわけです。その他の対象を見て、「この人は老人だな」とか「子どもだな」とかいうことも、相当、技術が進んでくればデータとして蓄積されてくるかもしれませんが、あらゆる場合に対応できるようになるまでには相当な時間がかかるわけで、最後まで解決できない問題は残ると思います。

自動車運転における認知02

ありがとうございました

 

 AIに認知や判断を任せるというよりは、自動車というのは人間が運転する、自動車は道具であるという基本的な考え方があってもいいのではないかと思います。それを考えるのが、まさしく我々交通の分野ではないかと思っています。それがいったい可能なのか、あるいは必要なのか。そういったことを考えるのが、「交通学者」――これはあまり言わない言葉ですが、経済や社会学、心理学とか人間の要素をたくさん取り込んだ分野があるべきで、そういったことの答えを探るべきです。自動車の技術だけにそれを託すというのは考え直したほうがいいのではないかということをつぶやかせていただきました。ありがとうございました。

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